人生は、感じる人間にとっては悲劇であり考える人間にとっては喜劇『大統領の最後の恋』
『大統領の最後の恋』(著:アンドレイ・クルコフ,訳:前田和泉/新潮社)
目標から逆算して、ありうる手段の中で最適なものをえらび、達成せんとする。どう思うかなどの感情は、この際、切り離そう。 そうした行動をさして、政治的だといえるだろうか。
物事を額面どおりに受け取るひとにとっては、人生は予測がつかないことの連続であり、状況におおきく左右されて不幸におちいりやすい、とはいえるのかもしれない。
ひとりの悩める青年期、地位を得た壮年期、大統領になった老年期、三つのパートが相前後して話は進む。
青年は、自分は生き方がからっぺたらしいと悩んでいる。世の中は、実務的な利害関係で動いており、自分の思惑はまったく蚊帳の外にある。
途方に暮れるままに押し流されて結婚したり離婚したり、家を得たり失ったりするうち、どうやら処世のコツのようなものを学びとっていく。
国外に逃れたいばかりに夫と離婚したかと思えば、自分の都合で舞い戻ってくる友達の娘と母親は、別れを突きつけられた夫側の気持ちなどわかっていない。
夫たる老人と友達だった自分の方がよほど、良き理解者だったろう。
本質にせまることなど、実際的なことを重んじるなら無意味なことなのだと、青年は徐々に気づき始める。
共同住宅で鈴なりにつけられた電球がある。各部屋の住人に所有権があるため、勝手に消しては気分を害される。今後の関係にさしさわらないよう、注意深く電気を消す青年。
次の章で、既に地位を持った壮年に、弟が問う。
何で賄賂をもらわないのか、害のないひとだけを選んでもらえば良いのに、とふしぎそうである。
受け取ったのち、なんの影響もないと考えるならばかだ、そんなこともわからないのかと弟を叱咤する。
弟は、さしておかしなところは無さそうに見えるのに、心を病んでいるとされて、むかしから病院に通っている。
思惑と行動は必ずしも一致せず、判断されるのは表向きの行動のみである。そうした世の中との折り合いがつけられるかどうかが、兄と弟ではっきり分かれる場面だと思う。
感情と切り離された、人生の舵取りがうまくなっていく過程と、立場があやうくなるのとともに感情が揺り戻しをかけてくる過程が、交互にたちあらわれる。
目的を果たすために「エジャキュレート」を行う壮年のくだりでは、悩めるかげはないのが印象に残っている。
男は一生で二回、最初と最後の恋をする。
どこかで聞いた話を、登場人物が言うところからタイトルにつながり、最後の相手は誰か、と考えながら読むことにもなる。
自分はうまく世をわたっている、と考えるひとが読んだらどう思うだろう。
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