被害者もあり、探偵でもあり、犯人でもあった『ミステリーを科学したら』
(文庫ともに絶版)
『ミステリーを科学したら』(由良三郎/文藝春秋社)
推理小説を読んでいるというと、論理でモノを考えるたちなんでしょうなと言われ、首をひねったことがある。
自分の頭が、はなはだ緻密さに欠けるものであるのに加え、好んで読む人間を思い浮かべてみても、格別そんな感じはない。
由良三郎は細菌と臨床を専門にする。研究職を勤めあげたのちに、推理小説作家に転じた。
専門の目からみると、推理小説には、どうみてもかばいきれないおかしな点が間々あらわれるのだという。
(p.22 「科学を無視した名作の数々」)
(p.135 「ミステリーの医学的考証」)
いやな感じがしないのは、欠点をあげつらっておしまいではないからだと思う。
自分が無知な分野のことばが、書きつらねてあったとして、読者と作者の「一種の信頼関係」があれば、小説の価値までなくなるものではない。
取材不足、孫引きなどによる、慢心からきたあきらかな誤りを除けば、ゆるされる「嘘」がある。
多少の科学的欠陥があったにせよ、気にもならないほど一息に読ませるような、魅力こそが第一だとしている。
(そもそも殺人を実際に犯してみてどうか、まで踏み込んだ人体実験などできはしない)
では、科学や医学の分野では門外漢な自分が、本書の作者をどうやって信じたらよいだろう。
そう思ううち、以下のような描写にいきあたった。
たびたびミステリーに顔を出す「テンジクネズミ」という呼び名が、かねがね不思議であった。
実験の場でも通常では使わない。辞書を引くと、「モルモット」が俗称とされ「テンジクネズミ」が正式名としてあつかわれている。
いずこの作家、翻訳家も、これをあてにしているだろうから、辞書は罪深い。
辞書の根拠は何か、とさらに専門書をたぐっていく。
すると、どうやら元凶らしき教科書がみつかった。
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昭和40年に初版を出したこの本は、さすがに数年後の改訂版ではテンジクネズミをモルモットに変えたが、初版の罪は消えない。
その教科書の著者は・・・・・・(ああ、この先は書きたくない)実は何を隠そう、この私だったのである。
(p.179「テンジクネズミ」より)
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信頼できる、という気がしないだろうか。
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