こぼれる春
ふきのとうに焦がれていると聞いて、車を停めた。
川の水かさが増すころ、ところどころ雪が残る路肩は、隠れていた地面の汚さをさらし始める。
枯れ草を踏みしだいて探すも、あったと思えばとうの立ちすぎたものばかり。
前をゆく母親が次々みつけていくのは、年の功なのかと首をひねる。
腰をかがめるまでの動作を、何度か眺めていて気がついた。
自分は色を見ており、母親は形を見ている。
車粉の黒さにきわだつ緑は、すでに芽吹いた証拠でもあった。
もちあがった枯れ草のかげに、若い芽がある。
いくらか皺がのびたビニール袋を抱えて、帰途についた。
期待にふくらむ妹の、あてがはずれるのも気の毒だ。
あくが強いものでも食べられるか、思うままに名前をあげる。
つくし、ぜんまい、わらび、ゴーヤまであげ、どれも遠い。
はたしてふきは近いかと言ったところ、好きだとこたえる。
ふきとふきのとうは別物、笑いまじりの父親の声が重なった。
ふきも育ちすぎればうまくないが、渓流に生えるものは丈が高くともやわらかく、鎌で切れば水がしたたるほどだという。
知らないことの新しさも手伝い、あざやかに聴こえた。
天ぷらに仕立てて塩を添えたふきのとうは、みなを満たした。
小さすぎて見落とされ、難を逃れたひとつは、食卓で切子のグラスにいけられている。
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