京都の縁切り神社をおとなう
かねてより気になっていた安井金比羅宮に、足を運んでみる。
ここは「縁切り神社」とも呼ばれている。
[公式サイト] 安井金比羅宮
良縁をねがってのことと、執着を断つためもあるのだけれど、好奇心が先にたち、もある。
京都市バスを足につかっていた頃から、気になってしようがなかった。
前の座席の背中部分、座っていると目が行く部分に、広告スペースがある。
「不要な家電製品を引き取ります」「あなたの足に合った靴をお探しします」などに混じり、「縁を切るならここで」と神社が広告を打っていたものだった。
四条から花見小路を下り、建仁寺方面から向かうことにした。
お品書きをおもてに出している料理屋もあれば、まったく振りの客を相手にしなさそうな店を横目に見ながら、ときには金文字で「会員制」と札がかけられた店もやり過ごす。
ひとつめの鳥居をくぐると、縦横にラブホテルが立ち並んでいた。
そういえば、祇園も四条からはずれると、ラブホテルと並んで産婦人科があるところもあるのだと、教えてもらったことがあったのを思い出す。
ここを訪れるひとが後ろ向きだとばかりは、言えないようにも思う。
「縁切り」とはいえ、ここで願われているのは「悪縁をたち、良い縁がありますように」だ。
ここに来て、ご利益があると思うのならば、今までに恵まれなかったものは悪縁だったのだ、これからめぐってくるものは良縁なのだ、と思えやしないだろうか。
願いにあらわれるのは、どれも、自分のなかにある「執着」のあらわれなのだろう。
執着をふっきって前に進むためには良いのかもしれない、などと考えながら、歩いていた。
境内には、みじかい土管の上に、札が貼られたものが鎮座している。
ヤマトのりで思い思いに貼られていった札(形代)が、いびつな形をなしていて、動きそうに見える。くぐって形代を貼ることで、ご利益があるのだという。
絵馬と形代をのぞいてみる。
形代は決まり文句(悪縁をたち、良縁を願う)が多かったのだけれど、絵馬はさまざまだった。
対象は一対一、多対多、多対一であったり、書くものは当事者、接点のある他人、願いは恋敵の縁切りを願うもの、自分の性格や癖などの内面に帰するもの、隣人トラブル、会社がらみなど。
実名と住所は、胸のうちでもいいんじゃないだろうか、と思いながら眺める。
(のちに「書いて人目にふれさせること自体、意趣返しがこめられているのだろう」と聞き、納得する)
絵馬を書いたひとは、ここに来て、いくらか気は済んだろうか。
が、「いつもありがとうございます」「先日はおかげさまで」と書かれたものも混じっている。
欲に果てなどはないようだった。
「学生さんが迷いと切れて、みんな国試に受かりますように」と、どこかの先生が書かれた絵馬が印象にのこった。
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