通りゃんせ、通りゃんせ、行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらも通りゃんせ、通りゃんせ。
何か恐いものでもついてくるのだろうか。
つないだ手の下をくぐりくぐらせながら、考えをめぐらせていた。
長じて、あれは東北で言う「疲れた」の意味だったろうかと思いなおし、浮かぶ景色がすこし変わってみえた。
京都の上に住んでいた頃は、手近な平野神社か北野天満宮に初詣にでかけていた。
ふと思いたち、今年は伏見稲荷に詣でることにした。 音にきこえる、鳥居をおがみたかったせいもある。
http://inari.jp/index.html 伏見稲荷のサイト(※音が出ます)
京阪四条駅(駅名が「祇園四条」に変わっていた)から、10分ほど揺られて伏見稲荷駅で降りる。
やりすごすでときでさえ、ここは目立つ駅だった。
午前中に着くようにして、これから混み始めるようすはうかがえるけれど、既に復路の人波ともすれちがう。
外拝殿に山と積まれた供え物に、うっかり賽銭を投げる。本殿はもうすこし奥にある。
混み始めたからと通路をテープで区切るのを横に、石段の前で順番待ちをする
押し合いへしあいまではいかず、黒山になってはいても、人と人のすきまは案外に空いている。
我先に前に出ようと押しのける者が、かえって悪目立ちするほど。
賽銭箱のむこうには参詣者がおり、人にむかって願をかけているようで、妙だ。
更に坂をのぼると、石階段から南東あたりに、白馬像の大小がまつられている。
なぜか、ガラス戸で閉てきられた馬の足元には、名刺が散っている。
何の由来があるのかは、わからなかった。
階段をのぼると、右手から鳥居の行列がみえる。
はるか見上げる大きさのものをくぐると、頭からそう遠くない高さの「千本鳥居」が始まる。
大きいものは規格がまちまちで、脚の部分が幅をとるせいもあり、まわりの景色は透ける。
千本鳥居はすきまなく並んでおり、朱のトンネルの様子。
これらの鳥居は、裏に奉納した者の名前と、年月日が刻まれている。
先陣を切る、ひときわ高い鳥居は電通のものだ。
ふりかえりながら見ていては、けつまずく。
どんな企業が奉納しているかは、あとで確かめることにした。
くぐれどもくぐれども続く鳥居は、がたがきているものもあれば、塗りが真新しいものもある。土台だけ残したものもあれば、注連縄をかざられたものもある。
道々、ちいさい社が山腹に見え、見合った大きさの狐さんが鎮座し、鳥居がまつられている。
熊鷹社で確認したところ、手に持てるほどの鳥居は2,800~11,000円とのこと。
三ツ辻のあたりで、くだりの疲れを考えて引き返す。
先ほどは見られなかった、鳥居の裏面をながめると、建設関係が多い。
高台寺のマントラには庭園業者の名前が刻まれていたものだし、この鳥居を立てるときに利害がからむこともあろうか。地鎮祭なども行っているのだから、神社とは近しいものなのだろうか。
建設業、製造業、観光業(タクシー、バス、ホテル、旅館)、商社、少なくない数の個人名、少しくだって医者、が目についた。
往路で見たように鳥居の建立年月日はまちまちで、昭和の次は平成であったりする。
どんな手順にのっとって、追加しているのだろう。
石段がとだえる、踊り場にあたるところでは、目につきやすい分、おそらく場所代が上乗せされているのではないか。(日栄と関西テレビがあったのをおぼえている)
奉納する者が、どこまで本気で信じているかは、当事者ではないからわからない。
ただ、延々とつづく鳥居を見るに、いくばくか混じった本気に似たものが、朱に溶けてこごっているのではないかと思わせる。
そちこちにいる狐さんの顔つきが、おおかみに似たものもあれば、犬に近いものもあり、見ていて飽きない。
あらためて、山登りのつもりで出かけてみたいと思っている。
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