日記・コラム・つぶやき

2009年7月13日 (月)

こぼれる春

ふきのとうに焦がれていると聞いて、車を停めた。

川の水かさが増すころ、ところどころ雪が残る路肩は、隠れていた地面の汚さをさらし始める。
枯れ草を踏みしだいて探すも、あったと思えばとうの立ちすぎたものばかり。
前をゆく母親が次々みつけていくのは、年の功なのかと首をひねる。
腰をかがめるまでの動作を、何度か眺めていて気がついた。
自分は色を見ており、母親は形を見ている。
車粉の黒さにきわだつ緑は、すでに芽吹いた証拠でもあった。
もちあがった枯れ草のかげに、若い芽がある。

いくらか皺がのびたビニール袋を抱えて、帰途についた。
期待にふくらむ妹の、あてがはずれるのも気の毒だ。
あくが強いものでも食べられるか、思うままに名前をあげる。
つくし、ぜんまい、わらび、ゴーヤまであげ、どれも遠い。
はたしてふきは近いかと言ったところ、好きだとこたえる。
ふきとふきのとうは別物、笑いまじりの父親の声が重なった。
ふきも育ちすぎればうまくないが、渓流に生えるものは丈が高くともやわらかく、鎌で切れば水がしたたるほどだという。
知らないことの新しさも手伝い、あざやかに聴こえた。

天ぷらに仕立てて塩を添えたふきのとうは、みなを満たした。
小さすぎて見落とされ、難を逃れたひとつは、食卓で切子のグラスにいけられている。

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2009年5月19日 (火)

山のあなたに茜さす

湿度でぬるんだ暑さでは、ゆるいゼリーをかきわけ歩いているように思え、毎日が消耗しどおしなのにも納得がゆく。
先日、梅雨があけたのはいまからだと思ったのは、雨が上がるや、はっきり急に虫が鳴き始めたからだった。
さっきまでは鳴いていなかったことを言っても、けげんな顔をされるのが不満であったけれど、巻いて戻すわけにもいかず、ついいままで「なかった」ことを証明するのもむずかしい。

来るぞ来るぞと思うが華、来たと思えば半ばを過ぎる。
昼の陽の長さで、夏をはかる癖はどうにも抜けなく、6月でピークは終わっている。
8月からが夏本番ですとテレビが言い立てるのは、本当らしさに欠けており、とうに盛りを過ぎたものをむやみに持ち上げているように聞こえて、いごこちが悪い。

夏は「夕暮れ」だったか、といつも間違えては正される。
ああ、夜だったねえと思い直しながらも、懲りずに間違えてしまうのは、明るさをはらんだ夜の色を、少しでも引き伸ばしたいせいなのだろうとみている。

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2009年2月27日 (金)

京都伏見稲荷での初詣

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通りゃんせ、通りゃんせ、行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらも通りゃんせ、通りゃんせ。
何か恐いものでもついてくるのだろうか。
つないだ手の下をくぐりくぐらせながら、考えをめぐらせていた。
長じて、あれは東北で言う「疲れた」の意味だったろうかと思いなおし、浮かぶ景色がすこし変わってみえた。

京都の上に住んでいた頃は、手近な平野神社か北野天満宮に初詣にでかけていた。
ふと思いたち、今年は伏見稲荷に詣でることにした。 音にきこえる、鳥居をおがみたかったせいもある。
http://inari.jp/index.html 伏見稲荷のサイト(※音が出ます)

京阪四条駅(駅名が「祇園四条」に変わっていた)から、10分ほど揺られて伏見稲荷駅で降りる。
やりすごすでときでさえ、ここは目立つ駅だった。
午前中に着くようにして、これから混み始めるようすはうかがえるけれど、既に復路の人波ともすれちがう。

外拝殿に山と積まれた供え物に、うっかり賽銭を投げる。本殿はもうすこし奥にある。
混み始めたからと通路をテープで区切るのを横に、石段の前で順番待ちをする
押し合いへしあいまではいかず、黒山になってはいても、人と人のすきまは案外に空いている。
我先に前に出ようと押しのける者が、かえって悪目立ちするほど。
賽銭箱のむこうには参詣者がおり、人にむかって願をかけているようで、妙だ。

更に坂をのぼると、石階段から南東あたりに、白馬像の大小がまつられている。
なぜか、ガラス戸で閉てきられた馬の足元には、名刺が散っている。
何の由来があるのかは、わからなかった。

階段をのぼると、右手から鳥居の行列がみえる。
はるか見上げる大きさのものをくぐると、頭からそう遠くない高さの「千本鳥居」が始まる。
大きいものは規格がまちまちで、脚の部分が幅をとるせいもあり、まわりの景色は透ける。
千本鳥居はすきまなく並んでおり、朱のトンネルの様子。
これらの鳥居は、裏に奉納した者の名前と、年月日が刻まれている。
先陣を切る、ひときわ高い鳥居は電通のものだ。
ふりかえりながら見ていては、けつまずく。
どんな企業が奉納しているかは、あとで確かめることにした。
くぐれどもくぐれども続く鳥居は、がたがきているものもあれば、塗りが真新しいものもある。土台だけ残したものもあれば、注連縄をかざられたものもある。
道々、ちいさい社が山腹に見え、見合った大きさの狐さんが鎮座し、鳥居がまつられている。
熊鷹社で確認したところ、手に持てるほどの鳥居は2,800~11,000円とのこと。
三ツ辻のあたりで、くだりの疲れを考えて引き返す。

先ほどは見られなかった、鳥居の裏面をながめると、建設関係が多い。
高台寺のマントラには庭園業者の名前が刻まれていたものだし、この鳥居を立てるときに利害がからむこともあろうか。地鎮祭なども行っているのだから、神社とは近しいものなのだろうか。
建設業、製造業、観光業(タクシー、バス、ホテル、旅館)、商社、少なくない数の個人名、少しくだって医者、が目についた。
往路で見たように鳥居の建立年月日はまちまちで、昭和の次は平成であったりする。
どんな手順にのっとって、追加しているのだろう。
石段がとだえる、踊り場にあたるところでは、目につきやすい分、おそらく場所代が上乗せされているのではないか。(日栄と関西テレビがあったのをおぼえている)
奉納する者が、どこまで本気で信じているかは、当事者ではないからわからない。
ただ、延々とつづく鳥居を見るに、いくばくか混じった本気に似たものが、朱に溶けてこごっているのではないかと思わせる。

そちこちにいる狐さんの顔つきが、おおかみに似たものもあれば、犬に近いものもあり、見ていて飽きない。
あらためて、山登りのつもりで出かけてみたいと思っている。

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2008年9月 3日 (水)

海とGift

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忠犬ハチ公の物語は、犬好きは聞くだにつらい。
ふたつの意味で、片思いに重ねあわせているゆえだと思っている。
ひとつはハチ公があるじを待つ、むくわれなさ。
ふたつは、犬に対するこちらの思いもまた、一方通行なのではないかと思われるからだ。
「もう主人は帰ってこない」と他の人に諭されても聞きいれない様子は、ヒトの言葉を解して見えるなどというのは、思い込みだったのではないかと、つきつけられるような思いがある。
日ごろ、犬があたかも言葉を理解しているかのようにみて、つきあっていたことは、滑稽なことだったのではないか。

犬を飼わない者から、見たことかと思われても、実際に犬とつきあっているあいだは目をつぶっているものだ。

まだ暑い8月上旬、海遊館に足を運んだら、折りしも夏休みなのもあって、ひどく混みあっていた。
カワウソ、ラッコ、ペンギン、イルカの人気が高いのは、ふるまいに幾らか、人と似たところが見つけられるからだろうか。自分と似た行動をするもの を、人はかわいいとみなす、と聞いたことがあった。チンパンジーのように似過ぎていると、かえって駄目で、「少し」似たところがあるくらいが、ちょうど良いのだという。


ニモ!とクマノミを指して喜んでいる子供を見て、毒を持つ生き物が少ないのが物足りないな、と前に思ったことがよみがえる。
毒がある生き物でも、どんなに凶悪に見える生き物でも、どこかで何らかの役には立っているもので、喰って喰われて、うまく回るようにできている。
クマノミもイソギンチャクも、ワニと千鳥の話も、ホンソメワケベラが他の魚の体を掃除するのも、コバンザメがジンベエザメにくっついているのも、それぞれがやりたいようにやっていて、それでいてうまく回っている。ひとつところだけ切り取って、良い悪いなどない。

人は、なにかひとつくらい取り柄を持って生まれてくる、ともいう。自分には、また他人には、なにがあるだろうか。

(2008.8.24)

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『超水族館のウラ・オモテ 海遊館ものがたり』(日本経済新聞出版社,日経大阪PR)(絶版?)を読む。

広報から海獣担当スタッフまで、現場の具体的な話の積み重ねが、とても楽しい。

タツノオトシゴが、『本草綱目』などでも安産のお守りとされているのは・・・オスがメスにかわって出産をながめると、たしかに「メスは難産ではない」と納得するところや、阪神大震災のおり、海遊館ではどんな対応がなされていたか。アクリル水槽にひびが入ることもなく、生き物の被害はゆれで枝から落ちて死んでしまったイグアナ一匹だという。

あらかじめ、危険を予測して関わっていたのはどんな人たちか(竹中工務店、京都大学など)なども書かれてある。

(2008.9.3)

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2008年8月22日 (金)

京都をなつかしむ『京味深々』

ラーメン屋で、食べる順を指定されるとムッとしてしまう。
備え付けの生姜入れに「まずはスープを味わってから入れてください」と断り書きがあるようなとき、何をちょこざいな、と思う。
ラーメンに胡椒を入れると味が変わっちまうじゃないか、と聞くと、こちとら薬味ごときでもとの味を見失うほど味音痴じゃないんだ、見くびるない、と返したくなる。
やれやれだよジョニー、とでも言いたげに肩をすくめられるのが知れてはいても。どうも短気でいけない。

茗荷は物忘れを恐れずに、酢で漬けて食べるほど好きだし、ネギやにんにくは常に山ほど入れる。七味一味からしにわさびも、けっこう入れる。
京都は大宮にある坦々麺専門店「坦々」で、にんにく入りXO醤・粉唐辛子・コチュジャンみっつを迷わず入れたら、それは「どれか」を入れるものでは?と連れにあやしまれた。いいんだ、全部入れても。どれかひとつ、なんて選べないもの。

味覚は、幼い頃につくられてしまうものなのだろうと思う。
薬味が大好きであっても、家が(母が)薄味好きのせいか、どうやっても濃い味付けにできない。
西に住んではいても、トコロテンは「からし酢醤油」味で食べるべきであって、断じて黒蜜ではない。トコロテンは「おやつ」ではなく、もずくのように「酢の物」の仲間としか思えない。

らちもなく、京都のことを書いているのは『京味深々 京都人だけが食べている(2)』(入江敦彦・光文社知恵の森文庫)を読んでいたから。
少し、店のこともつけ加えておこうと思う。

◆雅(みやび) 今出川通千本東入
夫婦がやっている蕎麦屋さん。「鬼そば(温)」を注文すると、三々九度の杯のような、朱塗りの杯に蕎麦が盛られて出てくる。蕎麦の色は黒め。「定食」にすると、かやくごはんと小鉢と漬物がついてくる。
一品も多くあり、酒も呑める。

◆洋食 ふるふる 千本今出川下ル西側
添えてあるキャベツがふわふわしていて、得がたい。空気を含んでいるように、盛られている。
二品選べる、セットメニューではハンバーグ+クリームコロッケをしょっちゅう頼んでいた。ハンバーグはジューシーであるし、メニューも手堅く豊富 で、千円前後。客層は広く、カップルから親子連れまで。白梅町にある洋食屋「いただき」とは浅からぬ縁らしいけれど、こちらの方が好み。
(2006.11.12)

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京味深々 京都人だけが食べている2 (知恵の森文庫) 『京味深々 京都人だけが食べている(2)』(知恵の森文庫/入江敦彦)

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