経済・政治・国際

2008年8月29日 (金)

なだめと叱りではかりにかけて『働く過剰』

働く過剰大人のための若者読本日本の〈現代〉12 14歳からの仕事道 (よりみちパン!セ)

『働く過剰』(NTT出版/玄田有史)

喫煙から禁煙を経て振り返ってみるに、タバコには、病気リスクとは別の功罪があるような気がしている。
「何のかの言って中毒に負ける弱さが自分にはある」と認めることで、強すぎる鼻っ柱が折れる者の場合には、いくらかの功を認めても良いだろう。
かたや、もとから自分を卑下することに慣れきっている者には、弱さを認めることでいっそう自分を損なう恐れがある。
タバコにも向き不向きがあり、どちらに転ぶかはわからない。

いつの世も、自分のしてきた苦労は過大に評価するものだし、他人の甘えは目につくものだ。
よくも悪くも、人は自分の経験からしか語り起こせない。
モデルとして自分の歴史を他人にあてはめることは、誰でもやっている。
そのとき、どこまで時代背景を加味したら良いものだろうか。若者の持つ不公平感と、かつて若かった者の昔語りとでは、主観のぶつけあいだと水掛け論に終わる。
本書は、その差を埋めるべく、なるべく資料から時代背景を見ていこうとする。

不況のあおりで新卒採用が極端に絞られたことには、社会的損失・企業の中の人口ピラミッドのアンバランスという以外の、害があるような気がしている。
同世代ですら、自分にも潜む弱さを「失敗した」相手に見出して批判する。自分はそうではないと確かめ、安心を得る。成功も失敗も、あくまで一個人のせいだとするならば、共有できるものを探すのは難しく、他人の共感を受け入れる余地はどんどん狭くなる。
ユニークであることと、孤独とは紙一重だ。
だからこそ、著者は『14歳からの仕事道』(理論社)で、「ゆるいつながり」が大事だと提唱しているのだろう。

結論から言えば、かつては雇用のとば口において、今は労働時間において、不公平は「あった」のだし、今もあるとし、何も若者はそこまで責任を負うことはない、と認める。といって、臆したままでは何も変わらないと指摘するのは、バランスが良い。

非求職者のの多くは「何でもいいから、働きたい」意欲は強いのだという。(第7章)
「何でもいい」と遠慮し、できることとできないこと、したいこととしたくないことの境目はぼやける。結果、意欲だけが空回りし、周りからは「ニートは仕事を選りごのみしている」といった先入観を持たれる。
得るものが薄い、自分の安売りは悲しい。

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ありうべき社会と'自己責任'『確率的発想法』

確率的発想法~数学を日常に活かす

『確率的発想法~数学を日常に活かす』(NHKブックス/小島寛之)

「自己責任」と言いがちなときは、自分にめぐってきた運を実力のうちに含めたがる。運の悪さを呪うときは、実力不足だと言われると切り返せない。
自己正当化がうまくできない人は、往々にして不幸になって、どんどん悪循環に陥る。
そうまで、運と実力は簡単に分けられるものか。

経験から語り起こした個人の成功談や失敗談は、それが自分に適用できるかどうかまではわからない。うなずけるところがあったとしたら、自分の今までの経験に置き換えて読んでいるからだろう。
よく噛み砕いて理解しているとも言えるし、勝手な解釈をしているとも言える。

本書の本題は、口々に言われる「自己責任」が、往々にして極論である、と位置づけるところにある。
それは極論だよ、と指摘しても何もならないので、数字を使って論証してみせようとする。

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自己責任論には、参加者が「自分が何を好ましいと思っているか」ということを完全に、しかも「経験として」知っていることが前提として必要です。
選好に関する知識が完全なら、期待効用理論を適用して自己責任を問い、「あなたが置かれている状況は自ら望んだものだ」と突き放すことが可能です。
しかし、人々が人生において置かれている環境は、完璧な経験や知識を与えてはくれません。(p.199引用)
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冒頭で「この不確実な日常において、確率で推し量ることはとても役に立つのです」というところから、ここに至る。
たとえば不況や何かで、わりをくったと思っている人のうち、楽になる人もいる考えじゃなかろうか。

参考文献リストが充実。

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図書館から借りたものだけれど、買う予定。

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2008年8月22日 (金)

ベンチャー社長の一代記『アメリカン・ギャングスター』

アメリカン・ギャングスター

『アメリカン・ギャングスター』(監督:リドリー・スコット)

フランク(デンゼル・ワシントン)は「運び屋」だ。

冒頭部分で、ハーレムを牛耳るボスと、運転手のフランクは、ディスカウントストアを訪れる。
「時代もおしまいだ。卸を抜いて商売をすれば、安くなるのは当たり前。だが、今まで卸を生業にしていた連中はどうなる。たちまち職を失ってしまう」

ボスの後を継いだフランクは、戦争に乗じて、阿片をベトナムから買い付ける。
純度が高いヘロインをお手軽な値段で売ることは結果として、市場に出回る粗悪な既存品を駆逐した。
当然のように、彼は恨まれる。ヤクで商売をしていた、イタリア系のマフィアから「余計なことをするな」「価格協定を受け入れろ」「こちらが流通させるから、お前は卸しに徹しろ」と脅されるが、フランクは良品安価のなにが悪い、とつっぱねる。

イタリア系マフィアは、既に「アメリカに移り住んできて、頼るはファミリーのみのやくざもの」ではない。がっちりした組織ができあがっている。だからこそ、フランクを脅す際にも「どうなっても知らんぞ。下の者が何をやるかまでは責任は持てない」とも言うのだ。
ひるがえって、フランクは組織らしい組織に属さない。(仕入れの際に華僑?に所属を確認されたくらいだ)だからこそ、家族を呼び寄せることで、信頼できる組織をいちからつくろうとした。

だが「人目にたちやすい職業だからこそ、つつましい暮らしを良しとする」フランクの姿勢と、家族の思惑は少しずつずれはじめ、しまいには「おれに話をしたい時には(親族の中でも信頼できる)こいつを通せ!そうでなければ口はきかん!」と、弟たちを恫喝する羽目になる。

家族の流通体制で商売を成り立たせてきたフランクは、司法の手にかかるも、終身刑は免れた。

フランクが恨まれた理由は、さまざまだと刑事(ラッセル・クロウ)は言う。
ヤク中でどうにかなったものの親族はもちろん、お前のヤクのせいで職を失ったものたちがたくさん。
ことに、商売を棒にふったイタリア系マフィアはみな、お前のことを恨んでいるよ。

ここに至り、この映画は、ボスの発言に始まり、ボスの発言に終わることがわかる。
卸を抜いて、高品質を安価で、ひろく販売する新しいビジネスをたちあげた。(仕入れの方法にアイディアがある)
しかし、一代社長は継承に失敗。同族経営から大きな組織に育てるまではいかず、市場から撤退した。

たぶん、骨組みはそういう話だ。
他の部分は枝葉に過ぎない。

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2008年8月16日 (土)

いったい何をもって公平とするのか『ヤバい経済学(増補改訂版)』

ヤバい経済学 [増補改訂版]

『ヤバい経済学』(東洋経済新報社/スティーヴン・レヴィット)

週に一度はめぐってくるなら、まずは目当てを逃さない。
かたや、月初の一日かぎりを待つなら、こもごもの都合を繰り合わせるのもおっくうだ。
そもそも正価が高すぎると思ってはみても、レディースデイに映画を観るときには、やましさが残る。月初の映画の日を待つ身からすれば、ずるいと指さされてもしかたがない。
私にとっては1800円と1000円の差は、時にひらきすぎており、いくらか上乗せして前売りを買うのが当に適している。

『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)を本屋でひらいてみた折、折れ線グラフが提示され「年々ペットボトルのリサイクル率は上昇して います」+「年々ペットボトルの使用率は上昇しています」=「リサイクルするほど、ペットボトルの使用率は上昇しているのです」と注釈があった。
それは因果関係が逆なのではないだろうか、と思って読むのをやめた。

「ヤバい経済学」(東洋経済新報社)は、経済学で「インセンティブ」と呼ばれる、人の行いの動機づけと、なんとはなしに納得している事柄の因果関係を、再検討してみる本だった。
作者は、インセンティブを「金銭的」に限らない。
投票をしに出かけていくのは、「私は義務を果たしているのです」とまわりに宣言できるメリットがあり、社会的インセンティブがあるとして、投票を郵送にしたら投票率が下がった事例を紹介する(p.299)。
何が原因で、何が結果なのかを見定めるのは難しいことが、何度も文中には出てくる。
第5章では、親が子にしてあげられる教育の効果はいかほどか。第6章では、親が子につける名前の傾向と、その意味をみる。
第5章の結論としては、親になったあとで付け焼刃で何かをしても、与える影響は少ないんですよ、親が持つ価値観なんかはそうそう変わりやしません、じたばたしても遅いですよというもの。
つづく第6章では、つけられる名前は「結果」としてあらわれたもので、「原因」じゃないとする。
耳新しくて、文学や歴史などの典拠もありそうで、しゃれた名前の子供が成功者になったとして、それは名前のみが原因ではないだろう。にも関わらず、少しずつ下がる所得層で、そうした名前にあやかりたい、というように名前が消費されてゆく。
親たちはことの因果を、知ってか知らずか取り違えていることになる。

「ヤバい」と言っても、犯罪社会の儲けのからくりなどを解いているわけではない。(それは「仕事師たちの平成裏起業」 (小学館文庫) だ)
社会学に近づくのは、作者本人もわかっているらしく「もしも私が三つの願い事をするなら、たぶんその一つは、本当の意味で多分野をまたぐ社会科学者になりたいということになる」(p.328)とある。
面白い本でした。
(2007.8.11)

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