なだめと叱りではかりにかけて『働く過剰』
『働く過剰』(NTT出版/玄田有史)
喫煙から禁煙を経て振り返ってみるに、タバコには、病気リスクとは別の功罪があるような気がしている。
「何のかの言って中毒に負ける弱さが自分にはある」と認めることで、強すぎる鼻っ柱が折れる者の場合には、いくらかの功を認めても良いだろう。
かたや、もとから自分を卑下することに慣れきっている者には、弱さを認めることでいっそう自分を損なう恐れがある。
タバコにも向き不向きがあり、どちらに転ぶかはわからない。
いつの世も、自分のしてきた苦労は過大に評価するものだし、他人の甘えは目につくものだ。
よくも悪くも、人は自分の経験からしか語り起こせない。
モデルとして自分の歴史を他人にあてはめることは、誰でもやっている。
そのとき、どこまで時代背景を加味したら良いものだろうか。若者の持つ不公平感と、かつて若かった者の昔語りとでは、主観のぶつけあいだと水掛け論に終わる。
本書は、その差を埋めるべく、なるべく資料から時代背景を見ていこうとする。
不況のあおりで新卒採用が極端に絞られたことには、社会的損失・企業の中の人口ピラミッドのアンバランスという以外の、害があるような気がしている。
同世代ですら、自分にも潜む弱さを「失敗した」相手に見出して批判する。自分はそうではないと確かめ、安心を得る。成功も失敗も、あくまで一個人のせいだとするならば、共有できるものを探すのは難しく、他人の共感を受け入れる余地はどんどん狭くなる。
ユニークであることと、孤独とは紙一重だ。
だからこそ、著者は『14歳からの仕事道』(理論社)で、「ゆるいつながり」が大事だと提唱しているのだろう。
結論から言えば、かつては雇用のとば口において、今は労働時間において、不公平は「あった」のだし、今もあるとし、何も若者はそこまで責任を負うことはない、と認める。といって、臆したままでは何も変わらないと指摘するのは、バランスが良い。
非求職者のの多くは「何でもいいから、働きたい」意欲は強いのだという。(第7章)
「何でもいい」と遠慮し、できることとできないこと、したいこととしたくないことの境目はぼやける。結果、意欲だけが空回りし、周りからは「ニートは仕事を選りごのみしている」といった先入観を持たれる。
得るものが薄い、自分の安売りは悲しい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)




![ヤバい経済学 [増補改訂版] ヤバい経済学 [増補改訂版]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41C-VhgG8CL._SL160_.jpg)

最近のコメント